メンタルヘルスマネジメント検定
プログいつぶりだろう。
先日11/5にメンタルヘルスマネジメント検定の最上級であるI種受けてきました。
https://www.mental-health.ne.jp/about/#course
試験は選択式2時間と論述式!1時間の計3時間です。疲れた😓
社労士の周辺密接領域なので、社労士合格前の2015年にII種受かってから放置してましたが、いよいよ仕事上も不可欠になってきたので、思い切って、約3ヶ月前から準備して臨みました。
合格発表は年始なので待つのはイヤーだけど、選択式の解答速報では46\50問取れていたみたいで嬉しいです。
あとは論述の基準点25点を取れるか?だけど、なんとか精一杯知ってることを全部書いてきたので、お願いです試験委員さん!です。
乞うご期待!
特定の始まり始まり
5月1日、ようやく特定社会保険労務士の付記登録の日を迎えました。
社労士試験勉強をしている時には、いつか必ず特定社労士になって、不当な扱いを受けた労働者を守りたい!
そう思い続けてきた気持ちを懐かしく思い出します。
と言っても勤務の身ですので、まだ残念ながらそのような活動はできないのですが、社労士になったからにはどうしても欲しかった資格ですので本当に嬉しさはひとしおです。
付記申請にあたって、社労士の資格を証明する、社労士証票と単位会の会員証も、書き換えのため差し出してしまったのですが、2週間くらい経つと、「特定」の文字がそれぞれ付された証票と会員証が送られてくるはずなので楽しみです。
(ちなみに顔写真も差し替えで、少なくとも前のよりはお金をかけて良い写真を提出したので、どんな仕上がりかな?という感じ。。年齢も重ねちゃってるので、手間暇お金をかけないとロクな写真にならないのですよ😭)
あとは多分月末?の官報に付記登録が公告されますので、官報買いに行こうかなと思っています。
官報に名前が出るなんて、破産とかは別にして貴重な機会ですものね。。
付記申請
特定社会保険労務士試験に合格後、所属する社労士会から必要な手続きを教えてもらいました。
特定社会保険労務士の「付記申請」をして、特定社会保険労務士になると、今持っている、社労士証票と所属社労士会会員証の2種類が作り直しになります。
(要は今は単に「社会保険労務士」となっている部分が、「特定社会保険労務士」に書き換えという訳です。)
今の顔写真はケチってアプリのプリントサービスを利用したので、ちょっと化け物感があるのですが、ようやくこの化け物ともおさらばできそう。
過去の会員証も無効化して返してくれることも可能らしいけど、私は要りません!
必要書類も全部記入済み。
あとは登録免許税の5,000円収入印紙を貼って郵送するだけだ。
なんとか5/1付けで付記してもらえるかな。
それにしても「特定社会保険労務士」はついに、という感じで純粋に嬉しいです。
なんとか困った方の役に立てるよう研鑽を続けないといけません。
ようやく合格
本日3/18は紛争解決手続代理業務試験(長い。。)の合格発表でした。
試験自体は大昔の昨年12/4だったのですが、もう当日から1週間は引きずりました。
なにせ全く手応えがなかったのですから。。
どっかのブログで模範回答見ても、「自分のと全然ちがーーう!」と激烈に落ち込んでいたのです。
もう不合格みなしの状態でした。
もう2回目だってので、3度目の受験はイヤダ!!と思いつつ本日を迎えました。
官報ホームページでは、自分の番号なんてないことを覚悟しつつ、ショック受けないように、そろりそろりと番号を読んでいきました、。
すると、、、、
あれれ、、なんと!!あるじゃありませんか、私の番号!!😂
と、いうわけで、ようやく私も特定社会保険労務士になることができそうです。
合格書類が届いたら早速連合会に付記申請をする予定です!
特定社労士試験発表ありました
本日3/12は特定社労士試験の合格発表です。
正式には「紛争解決手続代理業務試験」と言いますが、特定社労士になれば実際にトラブルの渦中にある労働者の方々の手助けをできるので、どうしても欲しい資格です。
で、今日の官報見たのですが、、
あれ、
おや、
ん、
えーっと…
番号飛んでる😱!?
えー!!!!!!
落ち、落ち、落ちましたわーーー。
わーーーん、わーーーーん😭😭😭😭😭😭😭😭
もうどうすれば、、、
ワナワナ…😱😱😱😭😭😭
…ゆっくり考えますよ😣😣😣😣
年末年始ではあるけど…
昔からたいへんひねくれた考えを持っていることがある。
それは日付やカレンダーの概念である。
太陽は毎朝昇って沈んでいく。これは季節ごとにその時間も変わり一定ではないけれど、太古の先人が1日の長さを計測してから概ね24時間であることは間違いないのでしょう。
ただここでやや疑問なのは、物理的に1日の長さは変わらないとしても、それはなぜ24に分けたのか?ということである。
おそらく歴史的な経緯や科学的な根拠がある?と思うので、ここでそれらを否定するつもりは毛頭ないわけであるが、本来はこれを24で分けようが、10で分けようが、なんなら朝昼晩の3で分けてあとは細かく分みたいに細分化させるって考えてもいいのかもしれないわけだ。
それと1年が365日というのは、これはどうも天文学的な論拠がきちんとあるので否定はしない。
ただこれもあくまで西洋発の科学を取り入れ(させられ)て、1年の始まりと終わりの日を決めているのであろう。
現にアジア圏や日本の歴史に触れてみれば、いわゆる旧暦という1年の始まりも終わりも独自の暦を用いていた事実がある。最近は旧暦を併記したようなカレンダーも少なくなりつつあるが、いわゆる厄年や占いの類も、その年の運気なんてものは、旧暦の正月(旧正月、春節)を区切りにするというのが一般的なのかと思ってる。
こう考えると、時間や日付なんてものはしょせん人間が後からこしらえたものであり、昨日という1日と今日という1日には、実は本質的な違いなんてこれっぽっちもないとは言えまいか?
本日は巷でいう大晦日ということになっているらしい。
しかしながら私は、これも西洋人というか人間が勝手にそう決めただけであり、明日は明日で何かがガラッと変わるものでは、少なくとも自然科学上ではなんの理由にもならないのである。
毎回1月1日に暦が変わる0:00になった瞬間に、全員が周りの人は「あけましておめでとう!」と言い合ったりするのがなんともこそばゆいと言うか、決まりが悪いと言うか、毎回好きではない。
たった1秒経ったからと言って何が変わるわけでもあるまい。
そんな極めてひねくれた考えで毎回あのタイミングを過ごしている。
今回も間もなくだ。
だから私は正月や新年というものがあまり好きにはなれないのである。