社労士Nのブログ

雪国生まれ、都会育ちの社会保険労務士です。非開業のため実務はできませんが、労働紛争解決人を先ず目指しています。。「せっかく。やるなら楽しく」をモットーとした日々(?)のことを綴りたい。

年末年始ではあるけど…

昔からたいへんひねくれた考えを持っていることがある。

それは日付やカレンダーの概念である。

太陽は毎朝昇って沈んでいく。これは季節ごとにその時間も変わり一定ではないけれど、太古の先人が1日の長さを計測してから概ね24時間であることは間違いないのでしょう。

ただここでやや疑問なのは、物理的に1日の長さは変わらないとしても、それはなぜ24に分けたのか?ということである。

おそらく歴史的な経緯や科学的な根拠がある?と思うので、ここでそれらを否定するつもりは毛頭ないわけであるが、本来はこれを24で分けようが、10で分けようが、なんなら朝昼晩の3で分けてあとは細かく分みたいに細分化させるって考えてもいいのかもしれないわけだ。

それと1年が365日というのは、これはどうも天文学的な論拠がきちんとあるので否定はしない。

ただこれもあくまで西洋発の科学を取り入れ(させられ)て、1年の始まりと終わりの日を決めているのであろう。

現にアジア圏や日本の歴史に触れてみれば、いわゆる旧暦という1年の始まりも終わりも独自の暦を用いていた事実がある。最近は旧暦を併記したようなカレンダーも少なくなりつつあるが、いわゆる厄年や占いの類も、その年の運気なんてものは、旧暦の正月(旧正月春節)を区切りにするというのが一般的なのかと思ってる。

こう考えると、時間や日付なんてものはしょせん人間が後からこしらえたものであり、昨日という1日と今日という1日には、実は本質的な違いなんてこれっぽっちもないとは言えまいか?

本日は巷でいう大晦日ということになっているらしい。

しかしながら私は、これも西洋人というか人間が勝手にそう決めただけであり、明日は明日で何かがガラッと変わるものでは、少なくとも自然科学上ではなんの理由にもならないのである。

毎回1月1日に暦が変わる0:00になった瞬間に、全員が周りの人は「あけましておめでとう!」と言い合ったりするのがなんともこそばゆいと言うか、決まりが悪いと言うか、毎回好きではない。

たった1秒経ったからと言って何が変わるわけでもあるまい。

そんな極めてひねくれた考えで毎回あのタイミングを過ごしている。

今回も間もなくだ。

だから私は正月や新年というものがあまり好きにはなれないのである。

時間は存在しない

時間は存在しない